桐たんすへの想いとこだわり
困難からのスタートでした
昭和12年。
私達の初代、故桑原松太郎は、弟と2人でこの工房の前身である「桑原たんす店」を新潟県加茂市に構えました。当時、弟と2人だけでの桐たんす作りは、機械など全くなく、そのほとんどを手作業に頼る仕事だったと言います。
その後、時代が成長すると共に、高価な桐たんすが少しづつもてはやされ、 婚礼家具としての不動の地位を築くようになっていくのです。しかし、私達の工房は順調にはいきませんでした。
多くの職人を抱え、大量の桐材を仕入れ、全国の卸し問屋を持つ大手の工場と違い、卸し先など全くなく、売り先といえばお客様からの紹介に頼っている2人だけの小さな工房でした。
その頃、初代の故桑原松太郎は一旦、桐たんすから離れ洋家具たんすと呼ばれる、桐たんすではない、家具たんすへの移行を決断します。 厳しい時代が物語っていました。
しかし、数年で再び桐たんす専門の工房として戻り、自ら新たな売り先を探しに、家具店を一軒一軒回ったと言います。
そんな時、昭和41年、全国の優秀な家具を表彰する「全国優良家具コンテスト」が開催され、そこでなんと優秀賞を受賞。次いで翌年の昭和42年も、連続で優秀賞を受賞し、その確かなモノづくりで全国に名を轟かせたのです。
1年間に2回、春と秋の週末は、たんすの材料となる桐を仕入れに山に入り、
自らの目で確かめた30年以上
の桐をひと山単位で仕入れます。
そうして集めた桐は製材所で、それぞれの厚さに製材され、そこからが桐たんすの材料としての長い道のり
の始まりなのです。
製材されたそれぞれの桐板は、工房の隣にある板干場と呼ばれる場所で、職人達の一人一人の手によって
一枚、一枚干され、
3年もの間、雨や雪、風にさらしておくのです。
雨で木のアクの黒ずみが抜け、乾けば、その分軽くなって、木は鍛えられていくのです。
中学を卒業して、木工の専門学校に入り、その後、桐たんす工房に弟子入りしてから30年の職人「横山松雄」は46歳。そして、同じ職人として先輩の「小池茂次」は47歳。国から伝統工芸士にも選ばれた名工でもあるのです。
桐たんす一棹が出来上がるまでの、手作業での工程は350を優に超えると言われています。
こうして作られる桐たんすは、引出しを一つ入れると、フワ~と上下の引き出しが出てくるような、 密閉度の高い桐たんすが作られるのです。
故桑原松太郎が創業して70年。
かたくなまでに伝統にこだわったモノづくりは、多くのファンに支えられてきました。女優「い○○○○み」さんや、「山○○子」さんもその一人です。
「桐たんすは代々使っていける」、「百年使えるモノを」その言葉通り、私達の仕事は世代を超えて伝わっていくものです。
追伸
桐箪笥は一生使えるものです。価格や形だけにとらわれず確かなものを選んで頂きたいと思っています。
私達の桐たんすが一番と言いたいところですが、多くのものを見て、じっくり選んで欲しい。 私の言いたい事はそれだけです。「こんな桐たんすなんて買わなきゃよかった」そんな事にならないために桐の蔵を桐たんす選びの一つに加えてください。
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