伝統的工芸品に指定されている桐たんすは全国で5府県
新潟県 加茂 加茂桐箪笥
19世紀の初めに大工が製作したものが、加茂桐箪笥の始まりと伝えられています。箪笥の裏板に「文化11年(1814年)購入」 と記された箪笥が現在でも市内で使用されています。昭和の初めに「矢車塗装(やしゃとそう)」が開発されて、現在の桐箪笥のデザインが完成しました。 加茂では全国の桐箪笥の70%を生産し、北海道から九州まで広く全国に出荷しています。
埼玉県 春日部 春日部桐箪笥
江戸時代初期、日光東照宮を作るために集まった職人が、日光街道の宿場町である春日部に住みつき、 周辺で採れるキリの木を材料とした指物や小物を作り始めたのが始まりであると伝えられています。江戸時代中頃の文献に、 10人ほどの業者が記されていることや、「明和9年(1772年)」の裏書きのある桐箪笥が現存すること等から、すでに産地の形が整い始めたのがうかがえます。
愛知県 名古屋 名古屋桐箪笥
名古屋桐箪笥は約400年前、名古屋城の築城に携わった職人たちが城下町に住みついて、箪笥や長持等を作ったのが始まりと言われています。 徳川幕府の全国統一の後、人々の暮らしや経済が安定してくると、織物の生産が急増し、衣服も豊かになりました。高級呉服が一般の人々の手に 入るようになるのとともに、それまでの収納家具にかわって機能的で合理的な箪笥が必要になってきました。また、名古屋は豊かな森林資源を持つ飛騨地方に近く、 飛騨桐という全国でも屈指の良材に恵まれていたことがその発展を大きく促しました。
大阪府 泉州 大阪泉州桐箪笥
農業をするかたわらに行われた、近所で採れるキハダやキリの木を使った、箱等の簡単な指物作りは、江戸時代中期に始まったと言われています。 江戸時代後期から明治時代にかけて一大産地を形成しました。キリの柾目(まさめ)を活かし、木釘と各種組み接ぎ(くみつぎ)技法を凝らした組立から、 磨き着色に至るまで、伝統技法を脈々と伝えています。
和歌山県 紀州 紀州箪笥
江戸時代後期に、落雷によって和歌山城の天守閣等が炎上し、多くの道具類が灰になってしまいました。 その4年後に天守閣を再建した時、同時に、失われてしまった長持等の箱物家具が作り直されたという記述が残っています。 また、和歌山県各地の町家からは、19世紀中頃の古文書や箪笥が発見されており、当時すでに武家以外でも婚礼調度品としての 箪笥が和歌山で作られていたことがわかっています。
「伝統的工芸品」には、法律上では次の要件が必要と規定されています
主として日常生活で使われるもの
冠婚葬祭や節句などのように、一生あるいは年に数回の行事でも、生活に密着し一般家庭で使われる場合は、「日常生活」に含みます。
工芸品は「用の美」ともいわれ、長い間多くの人の目や手に触れることで、使いやすさや完成度が向上します。また色・紋様・形は、日本の生活慣習や文化的な背景とも深く関わっています。
製造過程の主要部分が手作りである
すべて手作りでなくても差し支えありませんが、製品の品質・形態・デザインなど製品の特長や持ち味を継承する工程は「手作り」が条件です。
持ち味が損なわれないような補助的工程には、機械を導入することが可能です。製品一つ一つが人の手に触れる工程を経るので、人間工学的にも妥当な寸法や形状となりますし、安全性も備えています。
伝統的技術または技法によって製造する
伝統的とはおよそ100年間以上の継続を意味します。工芸品の技術、技法は、100年間以上、多くの作り手の試行錯誤や改良を経て初めて確立すると考えられています。
技術と技法は一体不可分なものですが、どちらかといえば技術は、「技術を磨く」といわれるように「一人一人の作り手の技量」「精度」に関わりが強く、技法は「原材料の選択から製法に至るノウハウの歴史的な積み重ね」に関わるものといえます。
伝統的技術、技法は、昔からの方法そのままでなく、根本的な変化や製品の特長を変えることがなければ、改善や発展は差し支えありません。
伝統的に使用されてきた原材料を使う
100年間以上の継続を意味し、長い間吟味された、人と自然にやさしい材料が使われます。
なお、既に枯渇したものや入手が極めて困難な原材料もあり、その場合は、持ち味を変えない範囲で同種の原材料に転換することは、 伝統的であるとされます。
一定の地域で産地を形成する
一定の地域で、ある程度の規模の製造者があり、地域産業として成立していることが必要です。
ある程度の規模とは、10企業以上または30人以上が想定されています。個々の企業だけでなく産地全体の自信と責任に裏付けられた信頼性があります。